1st INNING

斎藤佑樹さんと
建てていく
「スポーツと暮らす家」

〜第1回 ヒアリング〜

ABOUT

11年間のプロ野球選手生活を終え、野球に、スポーツに関わる新たな人生をスタートさせた斎藤佑樹さん。
「これからも野球を通じて誰かの力になりたい、自分が野球人生で感じてきたことを野球の未来につなげていきたい」と語る斎藤さんと共に、ウィザースホームは「スポーツと暮らす家」というプロジェクトを始めます。

文部科学省が推進する「スポーツ立国戦略」の基本的な考え方の筆頭に掲げられた「(スポーツを)する人、観る人、支える(育てる)人の重視」を体現する家について考え、建てていく──そのプロセスを追ってレポートしていきます。

子供の頃から、
トレーニングは
“暮らしの一部”だった

初回は、斎藤さんへのヒアリングから。
東京・世田谷にある「ウィザースホーム瀬田展示場」のモデルハウスでお話を伺いました。

高級感のある外壁タイルが使用された、瀬田展示場のモデルハウス。

斎藤さん、「スポーツと暮らす家」で何ができると思いますか?

「現役を引退してからもジムには通い続けています。前ほど体を鍛える必要はないんですが、やはり今まで習慣的にトレーニングをやってきたので、やらないとどうも気持ちが悪くて」

斎藤佑樹さんといえば、何と言っても2006年、夏の甲子園で早稲田実業のエースとしてマー君こと田中将大投手と球史に残る投げ合いを演じたことが有名です。 高校卒業後は早稲田大学に進学。野球部に入部し、1年目の春季リーグから開幕投手を務めるなどエースとして活躍しました。 ’10年10月、プロ野球日本ハムファイターズに入団。11年間のプロ野球生活はケガとの戦いでした。15勝26敗、防御率4.34という通算成績を残し、’21年シーズン限りで現役を引退。 現在は、「株式会社斎藤佑樹」の代表取締役。

「現在はリモートでの仕事を含め、自宅で過ごす時間が長いので、家にトレーニングルームがあればいいなと思います」

モデルハウスの玄関先で早くも斎藤さんの口から具体的な提案が出てきました。

「僕の実家には“ぶら下がることのできる階段”がありました。よくそこで懸垂をしました。そのおかげで背筋を鍛えられたと思っています。玄関にはバットがおいてあって、外出の前後にそれを振っていましたね」

子供の頃から体を鍛えることが暮らしの一部に組み込まれた生活を送ってきた斎藤さんにとって、トレーニングルームが最初に頭に浮かんだのは自然なことだったのかもしれません。

1階のダイニングスペースにて、住まいのこだわりをじっくりとヒアリングする。

「トレッドミルとバーがあればある程度のトレーニングはできるんです。同じ空間にストレッチできる場所が欲しいですね」

モデルハウスの中を歩きながら、話はどんどん明確になっていきました。

明るい日差しが差し込む、屋上へ続く階段。

スポーツをしてきたからこそ気付く、住まいの動線

仕事場とトレーニングルームが同じスペースにあってもいいと斎藤さんは話します。

「現在の生活においてもトレーニングと仕事は僕の中では同じものなんです。気持ちを入れてトレーニングすると、仕事の方のスイッチも入ります。それに、例えばリモートでミーティングする時、背景にトレーニング機材が映っていたらかっこいいと思うのは僕だけかな(笑)?」

玄関からの動線についてもスポーツをしてきた人ならではの発想が出てきました。

「試合や練習の後、帰宅してまず欲しいのは汚れたバッグや道具などを置く場所です。それですぐに入浴をしたいのですが、玄関のそばに浴室があるという設計はどうでしょう? 道具の出し入れ、入浴、洗濯を1階部分で完結したいです」

玄関からの動線をチェックする斎藤さん。

現役時代、斎藤さんは1日に5回シャワーを浴びたそうです。朝起きてすぐ、球場に行って自主アップの後に、全体練習の後、試合が終わった後、そして家に帰ってから、というふうに。アスリートでないと出てこないリアリティのある話が続きます。

「入浴は平均20分くらいでしょうか。贅沢な話ですけど、水風呂が別にあるといいですね。交代浴(温水と冷水を交互に浴びる入浴法)が疲れを取るのに効果的です」

モデルハウスの浴室は2階にあります。クローゼットからユーティリティスペースそして浴室へと内部でつながった配置になっています。この動線が斎藤さんは気に入ったようです。

「入浴、洗濯、着替えとスムースに流れるのがいいですね。よく風呂上がりにストレッチをするので、脱衣場にそういうスペースがあるとうれしいです。それと、このモデルハウスのように、バスルームには窓がぜひ欲しいです。窓の外が緑だと言うことなしですね」

高校時代に初めて甲子園球場を目の前にした時、外壁を覆う蔦の緑の美しさに見惚れて、ここは自分と相性の良い場所だと直感したのだと斎藤さんは懐かしそうに語ります。

浴室からクローゼットへと続くユーティリティスペース。天窓がある、開放感のある空間。

学生時代はユニフォームの洗濯も自分でしていたという斎藤さん。洗濯にもこだわりがあるようです。

「乾燥機にかけるもの、かけないものを分けたいから、必ず自分でやりたいんです。特にユニフォームを乾燥機にかけて縮めてしまうようなことは絶対にしたくなかったですね。ユニフォームは乾燥した室内でハンガーにかけて干したい。洗濯室にそういう機能が備わっているとありがたいです」

一方、クローゼットに関しては、引退後の現在の仕事が念頭にある様子。

「クローゼットは寝室にあるというパターンが多いようですが、現在の僕の場合は、撮影用の衣装も自分で用意していくことが多いので、それも仕事のうちと考えて、クローゼットはきちんと独立したスペースにしたい。服を選んで身につけたらスッと仕事モードがオンになるというふうにしたいです」

独立したクローゼットルームは女性にも好評。廊下を挟んで寝室とも隣接している。

湧き上がる「スポーツと暮らす家」への想い

続いて斎藤さんは寝室へ。
寝つきはいいほうだという斎藤さん。現役時代の平均睡眠時間は8時間だったそうです。

「寝室は狭くてもいいから寝るだけの部屋にしたいです。寝るというスイッチを入れるために。よく眠ることはプロのアスリートにとって仕事の一部でしたからね。寝る前にはリラックスできる香りをディフューザーで焚いたり、プロジェクターで波の映像などを流したりすることもありました。引退後も睡眠が大切であることに変わりはありません。寝るときは真っ暗にするのが好きです。遮光カーテンにして、隙間なく真っ暗にして眠りたいです」

2階寝室。ベッド脇のスペースは、寝る前のストレッチなどにも使えそう。

モデルハウス1階ではキッチン、ダイニングとリビングルームの配置が気になったようです。
「家族の誰がどこにいてもコミュニケーションが取れるように、仕切りのない設計がいいですね。僕の小さい時の家がそうだったように」

斎藤さんのご両親は仕事がどんなに忙しくても食事は揃ってするなど、家族で過ごす時間をとても大切にしていたそうです。

キッチンで冷蔵庫のチェックをする斎藤さん。
「現役時代は、ほとんど外食はしないで、家で食事をしていました。アスリートの食事はたんぱく質や野菜が多めで脂質は控えめ。現役選手が暮らす家なら良質のたんぱく質を常に確保するために、大きめの冷凍庫を置けるスペースがあるといいですね」

対話しやすいカウンターキッチン。ホームパーティーなど、人を招くこともこれからはしてみたいとのこと。

屋上に出ました。眩しい陽光の下に出ると、斎藤さんの表情が輝きを増しました。やはり屋外でのスポーツに長く親しんできた人には青空と太陽が似合います。

「こういう場所にプロジェクターを据えて、家族や仲間とスポーツ観戦ができたら素晴らしいでしょうね」

引退後はプレーする側から観る側になった斎藤さん。「する」から「みる」や「支える」へ、家に託す理想も幅が広がっているようです。野球はもちろん、バスケットボールを観戦するのも好きとのこと。

屋上では友人と過ごす時間のイメージが膨らむ。

最後に、家の外まわりにはどんな想いがあるのか、斎藤さんに訊いて見ました。

「実家には縁側がありました。そのせいか、家屋を出たらすぐに緑があって欲しいですね。木立の中に立っているような家が理想です。反対に、外観は無機質な方が好みです。外壁は凹凸も少なく、ツルッとしているような。都会的なものと鄙の要素が混ざっているイメージ。訪ねて来る人が『中がどうなっているのか早く見てみたい』と思うような外観がいいですね。それと‥‥」

短い距離でもいいからボールを投げられる場所があると理想的だと斎藤さん。
「投手はもちろんですが、野球選手なら誰でも投げられるスペースが欲しいと思うんですよね」
やはり野球人ならではのビジョンが浮かんでくるようです。

斎藤さんが「スポーツと暮らす家」に求めるものが熱い想いと共に湧き出してきました。次回は、斎藤さんの意向を汲んだ具体的なプランをウィザースホームから提案していきます。

文/浮田泰幸 写真/猪原悠

斎藤佑樹/1988年生まれ。群馬県太田市出身。

早稲田実業学校高等部3年時の2006年、エースとして夏の甲子園に出場し全国制覇。「ハンカチ王子」として大フィーバーを巻き起こした。早稲田大学入学後も輝かしい成績を残し、数々の栄冠を獲得。アマチュア球界No.1右腕として2010年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。ルーキーイヤーから6勝をマークし、プロ2年目の2012年には開幕投手も務めた。2017年からは背番号をアマチュア時代に慣れ親しんだ「1」に変更。しかし度重なるケガに悩まされ登板数も伸びず、2021年10月に引退を発表。
そして引退後の12月に自らの会社・株式会社斎藤佑樹を設立した。
「野球未来づくり」を掲げ、現在様々なプロジェクトの実現にむけて取り組んでいる。