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社員インタビュー

地元を離れてでも、
働きたいと思える会社。

Akihisa Sugita

住宅技術本部
住宅設計部 東東京設計課 課長代理
2013年中途入社

前職:ハウスメーカーの設計職

現職:設計(注文住宅)

土木から住宅設計へ。
関西から東京へ。

地元神戸で震災を経験したことをきっかけに、大学では土木工学や景観工学を専攻。就職活動では住宅設計の仕事に惹かれましたが、土木出身者を採用してくれる会社は少なく、方針転換を余儀なくされました。そこで、まずは住宅営業で経験を積もうと考え、東京のハウスメーカーに就職。リフォーム営業の仕事を通して、苦手だった人前で話すことを克服しつつ、家づくりの知識も吸収することに。その後退職し、地元神戸で1年間猛勉強し、一級建築士に合格。ついにハウスメーカーの設計職へ転職することができました。

ところが、配属先の広島で営業所長のパワハラを受け、苦渋の決断でしたが、転職を決意。当時、関西へも展開していたウィザースホームに応募しました。最終面接では現社長の神﨑と話し、これまでの私の紆余曲折をポジティブに評価してもらい、入社することが決まりました。2〜3年が過ぎたタイミングで、ウィザースホームは関東圏へ事業を集約することに。私は関連会社に出向したものの、ウィザースホームでまた働きたい気持ちが強かった。温かな社風に愛着を感じていたからです。神﨑の計らいにより、ウィザースホームへの異動が決まったのは1年後。私の思いを汲んでくれたことに、今でも感謝しています。

「杉田さんは、
魔法使いのようでした」

ハウスメーカーの住宅設計では、3階建てを担当することがひとつのポイント。構造計算が義務づけられており、耐火仕様も検討しなければなりません。それにともなう申請業務も複雑です。東東京設計課は都内を管轄するため3階建てが多く、私は課長代理として、そうした難度の高い案件の実施設計を中心に担当しています。仕事をするうえで密かに目標としているのは、お引渡しのときに奥様を泣かせること。家づくりは長い道のりですから、毎回ドラマがあります。目指すのはもちろんハッピーエンドです。

思い出深いのは、もともと1つだった土地を二世帯で分割し、3階建てと2階建ての住宅を設計した案件です。隣地は準防火地域と制約が多く、しかも3階建てを含む2棟をいっぺんに設計するという、最高難度のプロジェクト。打ち合わせのたびに、家へのこだわりの強い奥様から変更のご要望をいただき、私も全力で対応しました。お引渡しの日、ご家族を新居にご案内すると、小学生のお子さんが「やべー、この空間超いいじゃん!」と、和室の小上がりをひと目で気に入ったご様子。奥様はというと、思い描いた通りの家が実現できたことに感動し、号泣されていました。後日、奥様からいただいた小さな便箋にはこんなメッセージが。「杉田さんは魔法使いのようでした。私たちのやりたいことを、全部叶えてくれました」最高の褒め言葉をいただき、私自身も感無量でした。

営業職と技術職が、
お互いを思いやれる会社。

リーダー塾で印象的だったのは、アフターメンテナンスの部長の言葉です。「人はなりたい人物にしかなれない。だから、どんな人物になりたいかを具体的に思い描かないと、そこには辿り着けないよ」ドキッとしました。それまで漠然とした目標しか立ててこなかったからです。それ以来、課長になるという明確な目標を掲げ、周囲にも公言するようになりました。神﨑も「上を目指したい人は立候補してね」と言っています。出向先から転籍させてもらったときもそうですが、一人ひとりの意思を尊重するのが、ウィザースホームの社風です。

私がわざわざ関西から転籍してまでこの会社で働き続けているのは、人を大切にする風土が好きだからです。これまで経験してきたハウスメーカーでは、営業職と技術職の関係がお互いを思いやれず、ギスギスしがちでした。一方、ウィザースホームはとにかく仲がいい。現在常駐している住宅展示場では営業のメンバーに囲まれていますが、仕事中もバカ話に花が咲きますし、何か問題が発生したときもみんなで手分けして解決します。個人成績よりチームワークを優先する。根がやさしい人が多いのだと思います。今までで一番、居心地のいい会社です。

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